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新宮城(しんぐうじょう)は福島県喜多方市慶徳町新宮にあった中世の城館(日本の城)。会津盆地北西部に位置し、城の南西部には新宮熊野神社が祀られている。佐原義連の孫・新宮時連が建暦2年(1212年)に築いたといわれている。 2009年7月23日、会津新宮城跡(あいづしんぐうじょうあと)として国の史跡に指定された。 == 歴史・沿革 == 陸奥国(後の岩代国)に新宮城を築城したとされる新宮時連は佐原盛連の6男で、新宮氏を名乗った。なお、時連の長兄・経連は猪苗代氏、次兄・広盛は北田氏、三兄・盛義は金上氏、四兄・光盛は蘆名氏、五兄・盛時は加納氏の祖である。 時連は宝治合戦の際は三浦氏一族にも関わらず北条時頼に味方し、その功として新宮庄(現・福島県喜多方市)地頭職を与えられたともいわれている。以後、新宮氏は約200年にわたり新宮城に拠って新宮庄一帯を支配することとなった。 室町時代になると、新宮氏は同族の蘆名氏や加納氏と争うようになり、応永9年(1402年)には加納氏を滅ぼし、北田城の北田氏と同盟を結んで蘆名氏に対抗した。応永22年(1415年)には蘆名氏は新宮城を攻めており、応永25年(1418年)から27年(1420年)にかけて会津各地で新宮氏と蘆名氏の戦いが繰り広げられている。そして応永27年(1420年)7月に新宮城は落城し、新宮氏は越後国に逃れた。新宮氏はその後永享5年(1433年)に越後国小川庄において蘆名氏によって滅ぼされた。 抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)』 ■ウィキペディアで「新宮城 (陸奥国)」の詳細全文を読む スポンサード リンク
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